読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ぐ~たらオタクの似非考察日記

アニメ・マンガ・ゲーム・ライトノベルについて考察するブログです。

初心者向けにざっくり物語論を解説する:ナラティブって何?

ナラティブという用語がしばしば話題になります。

以下の記事でもゲーム産業におけるナラティブがどのようなものなのか?
ということが話題になっています。

http://www.famitsu.com/game/news/1213716_1124.html
http://www.inside-games.jp/article/2013/04/26/65964.html
http://www.4gamer.net/games/999/G999905/20130827028/
http://www.inside-games.jp/article/2015/02/19/85187.html
http://togetter.com/li/789010

しかし、ナラティブという用語が非常に曖昧で定義よくわからないために国内においてはバズワードではないか?
と言及されることが多い感じがします。

実際、ナラティブには複数の用法が存在しており使っている人によって意味合いが食い違うことが多いようです。

どうも、ナラティブに関して知っている人が大勢いるようなのですが包括的にどういった歴史があるのかとか、どういう使われ方をしているのかをまとめた記事がなかなか見つかりません。
なのでイマイチどういう話なのか掴み損ねてしまうという人が多いような気がします。
かくいう私もその一人です。

実はナラティブという概念には物語論*1という学問分野が大きく関係しています。

というわけで、勉強がてら色々資料を漁ってみました。
本記事ではナラティブの概念を知る上で重要な物語論を中心にしてナラティブの歴史と意味を追っていきます。
理解し切れているか怪しい部分もありますが、なるべく初心者目線で解説してみます。
というか私も初心者なのであまり詳しい話はできない(^^;)

1.ナラティブという概念が何故使用されるのか?

まず

「ナラティブがなぜバズワードのようでありながらここまで多用されるのか」

という疑問をお持ちの方が非常に多いと思います。

いくつかのゲームメディアの取り上げ方を見てもこのナラティブという概念は非常に抽象的で意味がはっきりとは分かりづらいと思います。
その為、初めてこの概念に触れた人にとってはどういう場合にこの用語を使用するのか難しく感じてしまいがちです。
ところが、欧米のゲームメディアを見ているとNarrativeという用語は頻繁に使用されているのがわかります。
また、国内においてもナラティブと検索すると医学系のブログや記事が大量に見つかります。

f:id:liatris5:20151117013237p:plain

それも個人が適当に使っているというわけではなく明らかにアカデミックな人たちも使用しており混乱してしまいそうです。
特にゲーム系の人たちは突如として降って湧いたように見えるこの言葉に戸惑いを覚えている人が多いように思えます。
なぜこの曖昧に思えるような言葉がここまで頻繁に使用されるのか。
その理由を探るにはこのナラティブという概念が生まれた歴史を振り返えらなければなりません。

2.文芸批評の歴史

ナラティブという概念を聞いた人は果たしてどの分野でこの単語を聞いたでしょうか。
ゲームや医療の領域において使用されているのを目にする人が多いでしょうか*2
しかし、この概念がどこから使われるようになったのかを探っていくとまったく違った領域に足を踏む込むことになります。

はっきりこの領域で使用され始めたというのはなかなか難しいところなのですが今回は「文学」という領域からナラティブという概念の発生を追っていきたいと思います。

原初の批評:印象批評

さて、話が変わりますが小説の感想を述べたり批評する際に皆さんはどのような形式で批評するでしょうか。
今やインターネットの発達により多くの人がブログやTwitter等で自分が読んだ書物に関して感想・書評を述べるのが当たり前のような時代になっています。
誰もが簡単な感想であればTwitter等に書き残すでしょうし、まとまったレビューのような物であってもブログ等に書き残す方はたくさんいらっしゃいます。

そこで書かれた感想に以下のような内容をよく目にしないでしょうか。

「感動した!」「燃える!」「私の心が揺さぶられました」

このように作品を見た本人の精神にどういった印象を与えてくれたのか
という観点から作品を批評することを文芸批評の領域では「印象批評」といいます。

「あの作品は私にこういった素晴らしい印象を与えてくれたのだ!」とこういう形式で批評することですね。
この批評形式は18世紀末から19年世紀末、ヨーロッパで大流行したロマン主義*3という考え方の中で生まれたもの一つで文学の分野に限らず絵画演劇など*4でも影響を与えました。

ちなみに下のおじさんは印象批評家のウォルター・ペイターさんです。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/51/Walter-pater-1.jpg
ウォルター・ペイター - Wikipedia


科学的な探求を求めて:新批評

印象批評というものは非常に原始的な批評方法です。

「感動した!」「燃える!」「私の心を揺さぶられました」

上記のものも分類するのであれば、印象批評といってもいいでしょう。
これを突き詰めていくとそれはそれで立派な批評が出来上がるのですが、時代が下るにつれこの批評方法と異なる意見が出てきます*5

「非科学的すぎる」
「個人の印象によりすぎて穴がありすぎ」
「経験のない馬鹿だと頓珍漢な批評になる」

のような意見です。
つまり、文学作品を端から端まで読んで、社会に対していろんなことを知っていてものすごい見識のある人なら良いのですが、そうでない人が批評してしまうとわけのわからない批評が生まれてしまう欠点があるのではないかということですね*6
しかも知識があったとしても、個人の観測範囲で大きく作品の解釈が変わってしまうのでとてもじゃないがまともな批評に使えないのではないかと考え始める人たちが出てくるんです。

この印象批評に代表されるロマン主義的な批評方法を否定する考え方を新批評*7と呼びます。

あまり細かい内容は本題からずれるので本記事ではお話しいたしませんが、新批評は1930年代にアメリカとフランスで大きなブームになり*8多数の人が新批評の考え方に乗っ取ったうえで議論していくことになりました。
新批評はわかりやすいところでは以下のような特徴を持っています。

・印象批評の否定
・作家の伝記的研究の否定
・比喩、隠喩、テンション*9パラドックス*10等の作品の技法に関する研究

つまり、印象批評のように個人の主観を大切にするのではなくもう少し客観的な立場から批評できないだろうか?
作品と作者と読者は切り離して考えるべきなのでは?
などと考えたわけです。
この新批評の「過度に作家を重視するのをやめるべきなのではないか」「科学的に批評するべきなのではないか」等の基本概念は後の文芸批評の分野にも多大な影響を及ぼすことになります。

※新批評の名付け親、ランサムさん
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/df/John_Crowe_Ransom_1941.jpg/493px-John_Crowe_Ransom_1941.jpg
ジョン・クロウ・ランサム - Wikipedia


形式の追求:ロシア・フォルマリズム

一方で新批評が流行り始める少し前*11に、ロシアという国でも一つの文芸批評が生まれていました。
ロシア・フォルマリズムです。

このロシア・フォルマリズムは形式を最重要視する考え方でした。

「文学の中身などどうでもいい、形式こそが重要なのだ」

という過激な人たちでこの人達は小説の形式について徹底的に拘る姿勢を見せたのです。
ここでは割愛しますが、代表的な考え方が、異化*12と呼ばれる技法です。

しかしながらこの人達もスターリン*13の弾圧によって研究を中止せざるを得なくなってしまいます。
その後フォルマリスト達はアメリカやフランスに逃げ込み、様々な影響*14を与えたと言われています。

※ロシア・フォルマリストのロマーン・ヤコブソンさん
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b5/Roman_Yakobson.jpg
ロマーン・ヤーコブソン - Wikipedia


構造主義の流行

新批評が英語圏で大流行していた1950年頃フランスである思想が発生します。
構造主義と呼ばれる思想です。

本記事では初心者向けの記事なので詳細は省きます。
だって初心者向けに説明するには複雑すぎるんだもん(^^;)*15
が、ざっくり言うと以下のような内容だそうです。

構造主義(こうぞうしゅぎ、仏: structuralisme)とは、狭義には1960年代に登場して発展していった20世紀の現代思想のひとつである。広義には、現代思想から拡張されて、あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論を指す言葉である。
構造主義 - Wikipedia

まとめてしまうと、ある現象*16を分析し、その構造を分析するとでも言えばいいのでしょうか。
元々は人類学者レヴィ=ストロースと呼ばれる学者さんが中心になって盛り上げていった、とにかく何でも構造分析していこうという思想であったわけです。

代表的な研究例*17としては以下のようなものがあります。

ウラジミール・プロップ:昔話の形態学*18
レヴィ・ストロース:神話の構造分析*19

この構造主義が1950年代以降、社会学・政治学・精神分析歴史学など多数の分野で広まっていく事になります。
しかしながら1970年代以降急速に思想そのものが廃れてしまいこの構造を分析するという手法だけが残っていきました。

物語論

印象批評、新批評、フォルマリズム、構造主義と見てきたわけです。
構造主義では、物語の構造をただひたすら分析していくという手法がとられました。
これは非常に興味深い手法として当時の界隈ではもてはやされたわけですが一方で一つの思想が生まれればそれに対する疑問や反論も生まれてくるわけです。

構造主義はひたすら分析するといいましたが、それに対して

「何の意味があるの?」

という疑問が生まれてくるわけです。
それもそのはずで構造主義はただひたすらに構造を分析して意味は特に考えないわけです。
構造を分析したからってなんか意味あるのという疑念が当然出てくることになりました。
その結果として思想そのものは廃れていき、構造を分析する手法だけが残されていきました。

そしてその流れの中で出てきたのが物語論(Narratology)でした。
物語論とはざっくり言ってしまうと「物語」を探求する学問です。

物語とは果たして一体どのような構造をしているのか、個々の作品それぞれにあたるのではなく物語という類型そのものに共通して存在する構造そのものを解析しようじゃないか。
という学問なわけです。

例えば、物語論ジュネットさんは物語を以下のように2つに概念に分けて考えます。

一つは物語で語られる内容そのものを「物語内容」
そしてテクストそれ自体、つまり言語で表現された結果物を「物語言説」

と分けて考えました。
また、物語を語る行為そのものを「物語行為(narration)」として分類しています。
そしてこのような構造で創られた物を「物語(narrative)」と呼んでいるわけです。

ここまでの歴史を踏まえたうえで再度Narrativeという言葉を考えてみると、Narrativeとは根拠のないバズワードなどではなく何十年にもわたり議論を積み重ねられ多くの学者達の間で使われてきた学問用語であるということがわかります。
この物語論へと至る道筋を理解しなければ「なんだかよくわからない言葉」になってしまうんですね。

印象批評への反論から生まれた新批評
形式を最重要視したロシア・フォルマリズム
構造を分析しようとした構造主義
そしてここでは取り上げていません*20がいくつもの学問研究の結果として物語論という考え方が生まれたわけです。

しかしながらこの物語論へと至る系譜は残念ながら日本では習得するのが難しい知識です。
文学をきちんと勉強した専門家ないし、文学部生のような方であれば別かもしれませんがそうでなければきっかけに触れることすら難しいといわざるをえないでしょう。
ではなぜ欧米では物語論がゲーム関係のお話で沸いてくるのかといえば、これらの学問を工業系の系列の分野で勉強をするからです。

以下の記事で大塚英志先生が語っています。
wise9 › 「構造から物語を作る」大塚英志先生に聞いた物語の作り方。そこから垣間見えるゲームとコンピュータの未来像

ぼくはよく知らないけれども、アメリカの大学では、工科大学の中で、物語論的なことをやっている人がいるような感じ。工学系の文学部というのが向こうにはボンヤリあるような気がするんですよ。日本でもプロップなんかの論文は、工科系の大学で情報論とかゲームについて論文を書くような学者が引用している。ぼくとしては「懐かしいな」というか、「考え方は似てるんだろうけど、彼らとの接点はないんだろうな」と思いながら見ているんですね。

具体的にはこんなコンテストがあります。
GDC Vault

Narrativeなゲームについての研究発表のコンテストを学生がやっていたりするわけです。
こういった科学的手法によって文学を批評したり、あるいは物語の作成のヒントにするといった手法を行っているわけです。
その結実として、Doramatica*21のような物語作成支援ツールのようなものなんかもあったりすると・・・
そういうわけなんですね。

サブカルチャー界隈で有名な大塚英志さんの「物語消費論」や新城カズマさんの著書「物語工学論」なんかもこの物語論の延長線上にあるわけです。

3.Narrativeとナラティブは微妙に違う?

さて、物語論の項でNarrativeについての解説をしました。
しかし、日本でこの言葉を使用する際には一つ注意点が有ります。

以下にジェラルド・プリンスの物語論辞典*22からナラティブの意味について抜粋してみました。

物語(narrative)は基本的には語り手(narrator)が聞き手(narratee)に伝える物語内容(content)と物語言説(discourse)から成り立っている。内容は「何かと誰か」の語り、言説は「いかに」の語りである。
その内容と言説は物語の複雑多岐性はどうであれ、それなりの物語枠(frame)をもち、物語軌道(narrative trajectry)に乗っている。これが物語の「世界」(diegesis)である。聞き手はこの世界の提示を了解し、これから始まる物語を一貫した出来事の集積であることを受け入れる。つまりその物語には終わり(coda)があることを理解する。
語り手は多くのばあい、俯瞰的な目をもつ全知的な語り手(omniscient narrator)と、その場その場を遍在的な語り手(omnipresent narrator)の視点を使い分ける。この語りの使い分けでいよいよ物語の展開(story)が始まる。

語り手や聞き手がいて、物語内容と物語言説で成り立っている"もの"を物語(Narrative)であるという意味で使っています。
つまり物語論におけるNarrativeとはあくまで総体を指し示す為の単なる名詞として使われることが多いということです。

対してゲーム界隈で使われるカタカナの(つまり日本語の)ナラティブとは以下のような意味で使われていることが多いようです。

・ストーリーには始まりと終りがあり目的地と経由地が決定されている。
・ナラティブには時系列が設定されておらず、自分の経験や出来事を通じて語るものであり、そこには意外性と偶発性がある。
・ナラティブは体験を経験にする。

http://www.4gamer.net/games/999/G999905/20130827028/


これはつまりナラティブという用語が「物語を体験するプレイヤーの解釈によって理解された個人個人の物語、あるいはゲームプレイによって起きた経験」のような複雑な意味で使われてしまっているというわけです。

このように原義から微妙に変化してしまっており、その結果ネット上の反応を見てもうまく説明することができずに理解が図られるというよりは混乱してしまっているというわけですね。

その辺の差異についてはゲーム研究をしてらっしゃる、松永伸司さんがpdf資料をまとめています。
以下の資料でNarrativeの使い方に欧米と日本で差異があるのではないかということを述べています。
https://researchmap.jp/mu8ak0t5d-1918131/?action=multidatabase_action_main_filedownload&download_flag=1&upload_id=97887&metadata_id=107646

また、ブログで更に詳細に迫った情報も提示されています。
http://9bit.99ing.net/Entry/69/

いずれにせよ、Narrativeは多様な使い方をされており、容易に意味を同定するのは難しい部分もあるようです。
自分で使用する、あるいはNarrativeあるいはナラティブといった用語を使用している資料に当たるにはよくよく考えて理解する必要があります。

4.まとめ

さて、本記事では物語論のざっくりとした歴史。
そしてナラティブの意味について解説しました。

これらの文芸批評の概念は基本的にすべて西洋で生まれたものです。
そのため英語で検索すると文献が腐るほど出てきます。
もちろん多数の先人たちの努力の結果私たち日本人もその概念に触れることができるようになっていますがその一方で日本語でこれらの概念を理解しようとすると大きなハンデを背負うことになります。
最新の研究は英語、フランス語、ドイツ語等で行われることが多いですし、基礎知識を蓄えようとしても容易に一般人が理解することが困難です。
とはいえ、関係資料をあたるだけで色々と勉強になることも多かったです。

ちなみに文芸批評の歴史は物語論以降も続きがあります。
物語論を踏まえてより読者に注目した「読者反応批評」*23
また、多様な観点から物語を分析しようということで「フェミニズム批評」など手法が分派していく傾向も見られます。

物語論は調べると色々現在の日本人の物語の解釈に無意識に影響を及ぼしてたりして面白いと思います。
けど素人が調べるにはちょっと複雑なんですよねぇ・・・*24

以上です。
今年も良い一年になりますように。



参考文献:

書籍
文学とは何か――現代批評理論への招待(上) (岩波文庫)
文学とは何か――現代批評理論への招待(下) (岩波文庫)
文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)
物語論辞典 (松柏社叢書―言語科学の冒険)
批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書)
物語のディスクール―方法論の試み (叢書記号学的実践 (2))
物語の詩学 ─続・物語のディスクール 叢書記号学的実践 (3)

Web
ゲーム技術の研究所 テーマ「Narrative(ナラティブ)」
松永伸司 (2015) ナラティブを分解する: ビデオゲームの物語論
読書の自由と解釈の不自由と (1)
読書の自由と解釈の不自由と (2)

*1:ナラトロジー:物語学とも訳される

*2:実際Googleで検索すると医療関係の記事が目に付く

*3:http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9

*4:哲学・文学・音楽・批評なども

*5:この印象批評は今日では文芸批評の領域では批判されがちです。しかし、この批評方法を極限まで突き詰めた人たちがいて、そういう人たちの批評はそれはそれは立派なものだそうです。

*6:これを貴族的感性と呼びます。つまり貴族並みに勉強したり時間がないとまともに批評できませんということです。

*7:ニュークリティシズム 英:New Criticism 仏:Nouvelle critique 新批評(しんひひょう)とは - コトバンク

*8:といっても文学界隈の中の話ですが

*9:盛り上がる場所のこと

*10:矛盾

*11:新批評は1930年台。ロシア・フォルマリズム1920年台に発生しました。

*12:通常使うような見慣れた言葉を使用するのをやめ、大仰な言葉で物事を綴る手法です。異化 - Wikipedia

*13:ヨシフ・スターリン - Wikipedia

*14:主に新批評と構造主義に影響を与えたと言われている

*15:つーか俺も完璧には理解しきれてねーよ

*16:現象はなんでもいい。文学に留まらないし、映像や音楽、ものの考え方などなんでも

*17:文芸批評的側面から見た場合です

*18:ロシアの民話の構造を分析した物。1920年代に発表され、構造主義が流行ると同時に着目されるようになった。年代がロシア・フォルマリズムと被るためにしばしば、構造主義の話題とロシア・フォルマリズムの話題両方で出てくることになる。今回は話の都合上構造主義で紹介しました。

*19:神話の構造を分析した構造主義初期の傑作

*20:解釈学など

*21:キャラクターや物語の展開を入力すると既存の構造分析などを利用して物語作成のヒントなどを提示してくれるツール。ハリウッド等で使用されている・・・らしい。

*22:物語論で使用される用語をプリンスさんが独自にまとめたもの。

*23:この辺は受容美学とかいう方向にいくんだったかな?

*24:※新年早々結構分量多くて疲れた。つうか文書くより情報調べる労力がやばい。けど色々勉強になりました。