ぐ~たらオタクの似非考察日記

アニメ・マンガ・ゲーム・ライトノベルについて考察するブログです。

SFではなく、おとぎ話としての「君の名は。」

新海誠作品はしばしばSF要素を挿入してくることで知られています。
ほしのこえでは宇宙で巨大ロボットに乗り込んだヒロインと地球に取り残された男の子の心の距離を描く。
また、「雲の向こう、約束の場所」では現代日本とは違った歴史を歩んだif物を描きました。

最近はSF的要素が若干鳴りを潜めますが今作では再び時間物というSFではポピュラーなモチーフを採用し一部ではSF的な部分での瑕疵を指摘するものもありました。
ただし、私は本作をSF的な観点から批評するのは正直ナンセンスだと思っています。

なぜなら本作はいわゆる「SF」的モチーフが非常に薄く、別の部分が際立っているからです。
まずヒロインである三葉は神社の巫女であり、いかにも神秘的で宗教的な立ち位置に存在しています。
また、友人である勅使河原はオカルトにはまっており、オカルト雑誌「ムー」の熱心な読者です。
作中にもSF的であるとされるモチーフはほとんど存在していません。
監督自身、夢による入れ替わりの発想も古今和歌集から発想を得たものであり影響を受けた作品として転校生やらんま1/2の名前を挙げています。
唯一時間遡行という概念だけが強いSF的な要素であるとはいえるかもしれません。
ただ、これらの条件をかんがみると本作品は明らかにSF的な部分を薄くし、明確にオカルティックな物語に見えてきます。

これをあえてジャンルとして分けるのであれば、「御伽話」であると考えます。
そういった発想は随所に見られ、明確に理由が語られることなく入れ替わりが発生したり、突如理由もなくスマホのデータが消えたりするなど明らかに非論理的であり、原始的な人間社会の発想で物語が綴られていきます。スマホを現代の巻物であると考えるならば突如文字が消えてもおかしくはありません。不思議ではありますが。
もちろん広義の意味でSFとして捉えることは可能だとは思いますが、いわゆるSF的な観点から本作を視聴してもあまり意味があるとは思えません。

個人的に今回、興味深かったのは新海監督自身が「ムー」を読んでいたと発言したことでです。
新海作品にしばしばSFっぽいと見られるディティールが存在しますが、時折ディティールが薄いといわれることがあるようです。
これが薄さの理由なのではないでしょうか。
つまり、新海監督のSF的発想の原点の一つが「オカルト」なのではないかということです。

※まぁだからと言ってシナリオの粗を肯定するわけではありませんが。ちなみに筆者はどはまりし、既に5回視聴しています。