ぐ~たらオタクの似非考察日記

アニメ・マンガ・ゲーム・ライトノベルについて考察するブログです。

電子書籍に関する不満と陰謀論

いつまで紙の本に付き合わなくちゃいけないんですか? -電子書籍に完全に切り替えたユーザーの怒りと愚痴をひとまずぶちまけます- .30CAL CLUBレビュー


電子書籍の売上が出版社のマーケティングの際に参考にされない。
という話がある。

これは漫画でも小説でも(ライトノベルでも)そういう傾向があるらしく、Twitterとかで何度も話題になっている。
なんでも書店で最初の1週間(あるいは数日)でどれだけ売れたかによって、連載作品の続行を決めるらしいのだ。
そしてその1週間の中には電子書籍はあまり含まれていなく、もしくはものすごい微々たる影響らしい。

販売された単行本の物理書籍+電書の数が両者とも2万本の本があったとする。
しかし電書をあまり計算に入れないということは、もし両者の内訳が
①10000+10000
②15000+5000
だとしたら②は連載が続けられ片方は終了する。
というパターンが考えられる。
売っている冊数、つまり客の数は同じなのにもかかわらずだ(厳密には両方買う人がいる可能性もあるが少数派だろう)

なぜこのような状況が発生するのだろう。
客側、つまり買っている側からすれば同じ値段を払っているにも関わらず、なぜか自分が買った作品の作者は不利益を被るわけだ。
これは電子書籍を買っている側からすれば面白くないだろう。
出版社が許可して、電子書籍ストアで販売し、そしてそれを客はかっているわけだ。
別に駄目だと誰も言っていない。
しかし、なぜかTwitterからは「でもその売上は数に入りません。」と。

ぶっちゃけた話、これが起こる原因は出版社の事情にすぎないんだろう。
つまり、出版社はプラットフォームを電子書籍の販売会社に渡したくないのだ。
今、書籍の売り方をコントロールしているのは出版社だが、電子書籍に移行してしまうとそちらに何を売りたいのかを握られてしまう可能性がある。
作家と客からの要望で電子書籍を売ってほしいと言われるのでしぶしぶ許可しているにすぎないわけだ。

しかし、問題点は作家がそのことに気づいているのか?
という点である。
編集者等の言を見るとなぜ電子書籍を数に入れないのか頑なに発言しない。
そして作家もその部分に関して発言することがない。
理由が一切わからないのだ。
つまり、出版社の側が情報統制を強いている可能性が高い。

既存の作家はそういった事情を知ってはいるが、強制されて言わない。
あるいは、編集者はそういった事情を作家側に伏せている可能性がある。
新人作家であればなかなか聞きづらいだろうし、意図的に伝えず
「本屋で売れたほうが作品が続くんですよね。複雑な事情があるので説明できないのですが」
とか
「その方が将来売れる可能性があるんですよ」
とか適当にごまかしておけばいい。

利益誘導されているわけだ。
そうやって、電子書籍の顧客はどんどん客扱いされなくなってく。
電子書籍の客が少ないうちはそれでも影響は微々たるものだったと思う。
しかし、どんどん客が増えてきており不満が徐々に抑えられなくなってきている。
そりゃ、商品を買ったはずなのに客扱いされなければ冒頭のリンクのような激しい不満も上がってくる。
冒頭のリンクは暴論を言っているように見えるけど、それだけにしか目が行かない人は
「そもそも電子書籍が作家への貢献にならないなどという状況があまりにも酷い仕打ちだ」ということに気づいていない。
私も別に大金持ちなわけじゃない。
少ない給料の中からなんとかやりくりして物理書籍か電子書籍を買うか選択しているのだ。
それなのに「あんたはよい客ではない」と言われるのは筆舌に尽くしがたい。

漫画を読むのが趣味で物理で2000冊、電書でも1500冊位買っている身からすると、別にどちらのメディアにも良い点はあると思う。
個人的にはどっちか片方が悪いとか酷いとか言うことは言いたくない。
それなのに同じ料金を支払って片方は数に入らないのは一消費者の身からすると正直道理に合わないと思う。

※多分、一番良いのは面倒くさいけど統一フォーマットで出版社それぞれが電書ストアを持つことだと思う。
KADOKAWAブックウォーカーみたいの。
弱小出版社は大手に委託すればいい。今とそんなに変わらない。

「君の名は。」の性的シーン等についての考察

まとまりがない
http://togetter.com/li/1029154

1.君の名はの性的だったりフェチズム的なシーンについて

実はもともと新海監督の作品は性的な描写をすることが非常に少ない監督です。
秒速5センチメートルなんかは顕著ですけど、恋愛を描いた映画でもあるにもかかわらず性的描写が異様に少なく、あったとしてなんか淡白なのは見ていただけるとわかると思います。
例えば秒速5センチメートルは恋愛を描いた映画であるにもかかわらず、男性目線からのモノローグが異常に多く更にエロティックな描写を異常に少なく描き、男性の自己憐憫や失恋を性欲0でピュアで純粋で美しいものであるかのように描いてしまったせいで童貞野郎のオナニーなんて揶揄されるレベルの映画だったわけです*1

新海監督がどういう意味合いで作品をそう描いていたのかはわかりません。
いわゆるキャラクターアニメーションが苦手でスタッフも少なかったのでそのような芝居を出来る余地がなかったかもしれないですし思春期の人向けに作っていたとおっしゃっているのであえて省いていたのかもしれません*2
あるいは単純に美しく描きたかったのだと明確な意図があったのかもしれません*3

ところがこれが変わる転機になったであろう作品が言の葉の庭です。
この作品では明確に女性に関するフェティシズムが見て取れます。
特に雪野の足をタカオが測るシーンは作品のハイライトと言ってもいいほどで、ネット上の感想を見て回るとわかりますが滅茶苦茶エロイという感想が多かったようです*4
で、あるにもかかわらず下品ではなくまるで崇高でさえあるかのような描き方をするためになんか良くわからんけど凄い評判良かったんですよね。監督も足を合法的に触るのに不自然じゃない設定として主人公を靴職人を目指す少年にしたとか言ってるわけですよ。

おそらく、ここで明確に意識したのがもうちょいエロとかフェチズムを入れてもいいんじゃないのか?
っていう部分だと思います。
これが君の名はの性的なシーンは観客受けするために入れたであろうシーンだと思う根拠なわけです。
つまり意外と一般的な日本人はオタクが思っているより(思春期の男女含めて)性に関するシーンに寛容ではないのかということです。

この点が恋愛に関してプラトニックな関係を望む人には受け入れずらいという点なんだと思います。
安易なジェンダー論で括りたくないので、そう思うのは男性であるとか女性であるとかいうつもりはありません。
恐らく男女双方共に一定数はいると思われます。
特に性に関する部分はセンシティブでもあるので少し「うっ」と思ってしまうのはおかしいことではないとは思います。
しかし、この性的描写をオタク男性的であるとするのは少し視野が狭いのではないかなと思う次第です。

もっとエロって恋愛感情とは分かちがたいものであるという視点もあってしかるべきだと思うんですよね。
そういう意味では「君の名は。」はかなり踏み込んでいる気はします。
瀧君が三葉の胸に触る部分も三葉に好意を抱く一つの要素であると解釈できるように作っているのはティーンエイジャー向けのアニメ映画としてはかなり突っ込んでいる。

口噛み酒自体は新海監督がインタビューで自分のフェチズムから発露したものであるといっていますが
巫女の作ったもので宗教的な伝統品であり物語の明確なキーになっていると言うように恐ろしくその辺に気を使ってるのがわかります。
なんかエロイのに神聖なアイテムだからキモさを感じづらいというように観客を誘導してるんですね。
糸守のチンピラ同級生に口噛み酒を批判させたのはそういう意図だと思います。
その辺にちょっと違和感を感じる人はいるかもしれませんね。
でもメタ視点で見すぎだと思います。

2.四葉が姉に口噛み酒販売を進めるシーンについて

あれは姉と妹の関係性、姉の他者からの視線に関する認識や思考、また妹の他者からの視線に関する認識や思考について視聴者が図る上で重要なシーンです。
映画の小物を観ているとわかりますが、実は妹は小学生向けのファッション雑誌を読んでいるのがわかります*5
小説版でも描かれていますが性に関する視線について姉に対して非常に開放的で重みを感じていないのがわかります。
一方で三葉は女系一家の長女であるという立場上周囲の視線を意識せざるをえません。
性的であるかどうかに関わらず非常に抑圧的な環境下で生きているわけです*6

これが妹が口噛み酒販売を提案しながら姉は照れて斜め上のずれた回答をする理由です。
つまりまじめに回答するのが恥ずかしいので酒税法で逃げたわけです。
だから強烈な地元の縁故による人間関係とジェンダー的支配から逃れるために「来世は東京のイケメン男子にしてください」というわけですね。

妹がなぜあのような発言をしてしまえるのかや、姉がなぜずれた回答をするのかなどエクスキューズをわざわざ用意してくれてるわけです。そこをすっ飛ばしていきなり新海監督のパーソナルな部分に踏み込んで考えるのはちょっと飛躍しすぎだと思います。
あのシーンは三葉が町内でどのような立ち位置にいるのかを考える上で重要なシーンだと思うのでバックにいる新海さんを意識しすぎるとちょっと見方がずれてしまうような気がします。

*1:いや、大好きですよ

*2:村上春樹に影響を受けたと言っておきながらここまで性的描写に淡白なのはちょっと驚きでもあります。

*3:その可能性高そう

*4:あとベッドにねっころがるシーン

*5:部屋の中に雑誌が転がってるシーンが確かあったはず

*6:それを瀧がぶっ壊すので困惑しつつもある意味好意を抱くわけですが

「君の名は。」で気になったこと、思ったこと 箇条書き

秒速から見てるけど、インタビューとか見るの久々だったので。
あとなんかまとまらなくて箇条書きで適当に残しておく。

・高畑さんも言ってたけど一人称視点がやっぱりそこかしこに挟まれる。そのせいか見ていて自分が三葉なのか瀧なのかわからなくなる。というか逆にそれが狙いなのかもしれない。三葉は地元のいい所を喋ったり思ったりするシーンが一切ないのに瀧の目線で美しい風景を見せられると観てる側も糸守がいいところに見えてくる。そのせいか三葉が最後に町長室まで走るところは三葉視点で考えると糸守を助けようとする動機付けが作中で弱いにもかかわらず走るのを応援したくなってしまう。
言の葉の庭あたりから顕著だったけど、女性目線が増えている。気がする(最初期に戻った?
・なんかギャルゲーと少女漫画が融合したような感じを受ける。
・当時、業界にPCの経験者が全然いなくて美術学校の学生捕まえてPhotoshopの使い方を伝授しながら作ってたらしい。
・新海監督が「ムー」を読んでいたこと。やっぱいわゆるSF畑じゃなくて発想の原点がオカルト系だよなと思った。入れ替わりの理由の説明がないのとか口噛み酒を飲んで入れ替わるなど、非常にオカルティックで宗教的である。なんとなく雰囲気で話が展開する。
・なので「君の名は。」は大別するとSFじゃなくて御伽噺だと思う。
・新海的なMV的手法は個人的には大好きなんだけど、曲の好みにもやっぱ結構左右されちゃうよなとは思った*1
・背景美術は綺麗。言うこと無し。背景あがりのアニメ監督っているんだろうか*2
・キャラクターの芝居がエモーショナルすぎて鳥肌が立った。やっぱ外様だったせいで人脈が薄い新海監督って不利だよなと思った。・最初に感動した音楽はイースの曲らしい。
日本ファルコムの話を結構あちこちでしてて社長に社会人の基礎を叩き込まれたとか結構面白かった。
・言葉遣いや態度が謙虚で丁寧である。宮崎、高畑、富野、押井、庵野とかばっかり最近見ていたので社会人臭くて新鮮だった。
・ゲーム会社を経由したからなのか、もともとそうなのかわからないが異様に腰が低いらしい。
・でも作品を見ると周りの発言に流されている感じではなく結構本人の趣向が出てる。いちいちフェチズム入れたり。言の葉の庭での足フェチ感と描かれ方が好評だったので気を良くしたのかも。
・非常に表層的で感情的な映画だと思った。いい意味で*3
・物語の展開がすばらしかった。どこをどう盛り上げるかを徹底的に詰めたと言っただけはある。
・おおよそ三幕構成になっていて、どこで話を区切るのかかなり明確であった。区切ったシーン以降では音楽の雰囲気すらガラッと変わる。最初はコミカルに、中盤は不穏な音楽を流し、最後は疾走感・高揚感を増幅するようにかなりはっきり作ってある。
・一方で物語の粗のようなものもわかりやすいが、絵面や感情面を優先したのかもしれない。
千と千尋の親豚探しもわりとたたかれるが、おおよその流れと奇妙な納得感があればつじつまとかは案外みんな気にしないようだ
・新海監督がエヴァの予告のサービスサービスぅの意味がよくわかる。と言っていたのが感慨深い。
逆シャアを良く見てるらしい。富野監督の容赦のないテンポ感が好きだ。と言っていて前半のスピーディーなカット割りはその辺の感性の影響もあるのかもしれない。
・あと、驚いたのは監督がどらドラ!を見たり、星を追う声で金本さんを起用したとき、「今度、イカ娘って役やるんです」って言われて見始めたら嵌ってしまい、イカ娘が好きでイカちゃんを見たいが為に家に帰っていたと言ったのは吹いた。
・一時期釘宮病患者だったらしい*4
・総じて思ったのは、明らかに新世代のアニメ監督であると言うことである。宮崎、高畑、富野、押井、庵野がイカちゃんなどと言うシーンは最早想像できない。デジタル処理された背景もそうだがテレビではなく、アニメ映画の監督も遂にここまで来たかと言う感はある。
・まだ「聲の形」を見れていないが、山田尚子監督とか京都アニメーションの製作環境はどうなっているのだろうかとふと気になった*5
・奥さんはいる。

*1:ちなみに俺は大好きです

*2:新海監督は厳密には背景出身じゃないけど

*3:たぶん物語に根ざしたレビューが少ない要因がこれのせい

*4:ヘッドフォンで釘宮の声を聞いていたらしい

*5:あっちも相当凄いらしいが

SFではなく、おとぎ話としての「君の名は。」

新海誠作品はしばしばSF要素を挿入してくることで知られています。
ほしのこえでは宇宙で巨大ロボットに乗り込んだヒロインと地球に取り残された男の子の心の距離を描く。
また、「雲の向こう、約束の場所」では現代日本とは違った歴史を歩んだif物を描きました。

最近はSF的要素が若干鳴りを潜めますが今作では再び時間物というSFではポピュラーなモチーフを採用し一部ではSF的な部分での瑕疵を指摘するものもありました。
ただし、私は本作をSF的な観点から批評するのは正直ナンセンスだと思っています。

なぜなら本作はいわゆる「SF」的モチーフが非常に薄く、別の部分が際立っているからです。
まずヒロインである三葉は神社の巫女であり、いかにも神秘的で宗教的な立ち位置に存在しています。
また、友人である勅使河原はオカルトにはまっており、オカルト雑誌「ムー」の熱心な読者です。
作中にもSF的であるとされるモチーフはほとんど存在していません。
監督自身、夢による入れ替わりの発想も古今和歌集から発想を得たものであり影響を受けた作品として転校生やらんま1/2の名前を挙げています。
唯一時間遡行という概念だけが強いSF的な要素であるとはいえるかもしれません。
ただ、これらの条件をかんがみると本作品は明らかにSF的な部分を薄くし、明確にオカルティックな物語に見えてきます。

これをあえてジャンルとして分けるのであれば、「御伽話」であると考えます。
そういった発想は随所に見られ、明確に理由が語られることなく入れ替わりが発生したり、突如理由もなくスマホのデータが消えたりするなど明らかに非論理的であり、原始的な人間社会の発想で物語が綴られていきます。スマホを現代の巻物であると考えるならば突如文字が消えてもおかしくはありません。不思議ではありますが。
もちろん広義の意味でSFとして捉えることは可能だとは思いますが、いわゆるSF的な観点から本作を視聴してもあまり意味があるとは思えません。

個人的に今回、興味深かったのは新海監督自身が「ムー」を読んでいたと発言したことでです。
新海作品にしばしばSFっぽいと見られるディティールが存在しますが、時折ディティールが薄いといわれることがあるようです。
これが薄さの理由なのではないでしょうか。
つまり、新海監督のSF的発想の原点の一つが「オカルト」なのではないかということです。

※まぁだからと言ってシナリオの粗を肯定するわけではありませんが。ちなみに筆者はどはまりし、既に5回視聴しています。

反吐が出るような小説業界の悪習

www.jinsei-bungaku.jp

アニメか? アニメです。

あれはなんなのだろうか。
私は当初ライトノベルに対してだけ適用されるものだと思っていた。
そして、また小説以外でも起こりうるものだと思っていたのだ。

しかし、ライトノベルコミュニティに出入りするようになり、それはまったくの勘違いであることに気づいた。
あれはライトノベルではなく小説業界すべての悪習なのだ。
そして、私が想像する以上に小説業界はその悪習に取り付かれていた。

つまり、小説業界だけが異常なまでにカースト構造を作り出すことに長けている、いや最早無意識的に作り出している。
驚いたのがジャンル自体がそういった権威構造を内包しているという点にある。
例を出すと「ハードSF」「新本格ミステリ」「ハイファンタジー」といったジャンルだ。

・ハードSFではないものはSFではない、下等である。
新本格ミステリではないものはミステリではない、下等である。
・ハイファンタジーではないものはファンタジーではない、下等である。

しかもこの手のジャンルを積極的に使っているのが読者だけに限らず業界側が使用しているという点に特異性がある。
下手すると作家までもが使用している。
つまり、業界そのものが強固な権威構造を作り出し、該当しないものを排除しているのだ。
そして、権威ある作家が使用しているが為にクラスタ内にそういったカースト認識が蔓延してしまう。

はっきりいってしまうがここまで権威主義が悪化したコンテンツ業界を見たことがない。
週間少年ジャンプの作家が徒党を組んで「新本格バトル漫画」などという呼称を採用した団体を立ち上げ挙句、そこにぶら下がる読者が団体の御眼鏡に適わない作品を馬鹿にするなどという状況になるなど想像もしたくない。

この腐りきった慣習は何だ?
反吐が出る。

FF15の映画「キングスグレイブ」 感想 既存邦画の映像表現を光速で置き去りにしたスピンオフ映画

FF15の映画「キングスグレイブ」(直訳:王の剣)を土曜日に最速で観賞して来ました。
結論から言うと滅茶苦茶面白かったです。
トレイラーの時点で相当なレベルの3DCGであることは予期していましたがいい意味で期待値を遥かに上回りました。
簡単に感想を書き残しておこうかなと思います。
※ちなみにネタバレあるのでご注意を

1.ガッチリと作りこまれたストーリー

FF15はヴェルサスから数えると10年もの期間が掛かっています。
当然設定も膨大な量になっており、非常に制約が大きかったはずです。
ですが、ガッチリと作りこまれた脚本は感情移入するのに十分な造りこみでした。

以下があらすじになります。

あらすじ

神聖なるクリスタルを擁する魔法国家ルシス。クリスタルを我が物にしようとするニフルハイム帝国。 二国はあまりにも長い戦いの歴史を続けていた。 ルシス国王レギス直属の特殊部隊「王の剣」。ニックス・ウリックら「王の剣」は魔法の力を駆使し、 進行してくるニフルハイム軍を辛くも退けていた。 しかし、圧倒的な戦力の前に、レキ?スは苦渋の決断を余儀なくされる。 王子ノクティスとニフルハイム支配下のテネブラエ王女ルーナとの結婚、 そして、首都インソムニア以外の領地の放棄―。 それぞれの思惑が交錯する中、ニフルハイムの策略により 人知を超えた戦場へと変貌したインソムニアで、ニックスはルシス王国の存亡をかけた戦いに向かう。 全ては“未来の王”のために。

ざっくり言うとルシス王国とニフルハイム帝国が戦争をしておりルシス王国の特殊部隊員ニックスが奮闘する話です。
そこに、移民問題や自治、二国間の複雑な政治的交渉を絡めて重厚な仕上がりになっていました。
主人公達特殊部隊「王の剣」は移民で構成されている部隊で国王から魔法の力を借りて国を守っています。
しかし、戦況は悪化しており半ば使い捨てのようにされる王の剣隊員には徐々に不満が燻ってきており隊員内にもきな臭い雰囲気が漂っている・・・
という感じです。
そういった個人の国家に対する複雑な感情が絡み合って物語をつむいでいくというわけですね。

とは言うものの本作品の真の魅力はそこにあるわけではありません。
例えば移民のお話が現代社会の痛烈な風刺になっているとかそういうわけではありません。
後半はそういった複雑な展開も鳴りを潜めます。
本作品はあくまで王道のエンターティメントものだといえるでしょう。
そしてそのエンタメ要素を何が担っているのかといえば、現時点での国内最高峰ともいえる3DCGだといえます。

2.ハリウット映画の超大作並みの映像表現

正直なところ邦画として考えると、あらゆる既存映画の映像表現をぶっちぎりで突き抜けていて頭一つどころか遥か高みにまで到達しており既存の実写映画などが本作に少しでも近づけるというイメージが一切わきません。
もはや映像のレベルはハリウット映画の大作並みであり、とくに映画後半のアクションシーンはパシフィック・リム等を彷彿とさせます。巨大モンスターと召喚獣(正確には巨像)のバトルを背景に主人公ニックスと敵役グラウカ将軍がテレポートと高速移動を駆使した猛烈な空中戦を繰り広げ、バックに広がる新宿をモデルとした王都インソムニアと相俟ってすさまじい映像美でした。
しかもこれを実質制作期間はわずか1年*1で作ったというのを聞いて脱帽しました。
まさか日本の会社でここまでの3DCGを作り上げることができる等とは思っていなかったからです。

実際には複数の制作会社と連携していて、国外19社・国内30社もの制作会社を取りまとめていたそうです。
国外の会社ではImageEngine等と連携していたようです。
ImageEngineはインデペンデンスディ最新作なども担当しているそうで、なるほどレベルの高さも納得という感じではあります。
しかし、国内の制作会社も複数参加しており、これは素直に各制作会社さんに対しては賞賛して良いと思います。

邦画として考えたときキングスグレイブは一つのターニングポイントと考えても良いかもしれません。
少なくとも国内CG史には確実に残ることになるでしょう。

3.まとめ

しっかりとした重厚なストーリーと群を抜いた映像表現。
登場キャラが多く、若干内容を把握するのに手間取るかもしれません。
また、映像もワープという能力を駆使する上で展開がめまぐるしく動くためにキャラの位置などを把握するのが難しい部分という欠点もあったりします。
ストーリーについてもスピンオフ映画という都合上、3部作映画のPart1のような終わり方でもあります*2

しかしながら、そういった欠点を補って余りあるほどにポテンシャルを感じさせてくれる映画でした。
CGである利点を生かしたド派手なアクション。
ハリウッド映画では見られない魔法vs科学という設定を生かした不思議な世界観。
また主人公の熱い生き様や(良い意味での)中二病的な雰囲気も感じさせるルシス王国の歴代の王達とのやりとり。
あくまで日本的な設定でありながらハリウット超大作並みの映像表現という他に類を見ない作品になっています。
既存のハリウット映画や邦画ではなかなかみることができない作品でしょう。

FF15を買う予定ではない人にも進められる映画です。

現在、新宿バルト9他で絶賛公開中です。
ネット配信もされる予定ですが是非劇場の大スクリーンで見ることをお勧めします。

*1:プリプロダクションが1年半ほど

*2:ただ、話に区切りはしっかりつきます

最近のスクウェアエニックスに対するちょっと下衆い話とそれに纏わる一抹の不安

最近、スクエニのスマフォゲー関連でちょくちょく話題になることが多い。
これとか
b.hatena.ne.jp

これとか
togetter.com


個人的にはスクエニが徐々にコンソールゲーを出すサイクルを早めており従来からのコアゲーマーとしてはうれしい部分が多い。
FFXVキングダムハーツ、また、いけにえと雪のセツナなどの小規模ではあるものの従来型のクラシックなJRPGも製作しており好感度はといえば俺の中で爆上げだ。
前社長時代の評価を考えるととんでもない上昇率といえる*1
が、一方で一抹の不安を覚える部分もある。


一コンソールゲーユーザーとしては全く問題ないのだが、少し危険だなと感じるのはスマフォゲーとコンソールゲームの開発者に対する溝だ。
ちなみに私はスクエニの開発者なんかじゃないし、ゲーム業界の人間ですらない。
知り合いにゲーム業界の人間がいるとかそんなことも全くない。
なので単なる与太話程度で考えてもらえるとわかりやすいと思う。


スクエニは言うまでもなく日本のソフトメーカーでは最も存在感のある会社といっていいだろう。
ドラクエやFFなどのビックタイトルは名前くらいは聞いたことがある人は多いはずだ*2
野村哲也等のクリエイターは国内のみならず海外でも相当な知名度を誇る。
また、海外でもeidosの買収などを通じて近年じょじょに評価が上がっていると見ていい。
実際eidosの開発者の発言からするとはスクエニ上層部は口やかましく開発を妨害することもなくかなり自由に開発をさせているようだ。餅は餅屋ということで欧米の人達に任せている印象がある。
まさに日本のパブリッシャーの雄といっていいだろう。
一方でスクエニの最近の業績を見るとわかるのだが売上の大半を占めるのはPS4を代表とするコンソールゲームでは決してない。
何かと問われれば、スマフォゲーやMMOとはっきりいえるだろう。
一括で販売するFFXVなどのコンソールゲームに対してスマフォゲーは課金を利用して1年を通して安定した売上をたたきだせる。
そしてその資金を利用してコンソールゲームを製作しているわけだ。
このIPをHDゲームで育て上げて、スマフォゲーを代表とする周辺展開で儲ける。
というサイクルを造ると松田社長ははっきり明言している。
個人的には非常にうれしい話ではあるし、好意的に見ている。
しかし、開発者の目線で見るとどうなのかというとそれはまた別の話なのではないかと最近考えるようになった。
つまり、会社で最も売上をたたき出しているスマフォゲー開発者はこの「売上はスマフォゲーで稼ぐが、評価されるのは野村哲也を代表とするコンソールゲームの開発者」という点をどう思っているのか。
最近のスクエニのソシャゲ周りの騒ぎはそういった鬱憤が表面化してきているのではないのかということだ。

「金を稼いでいるのは俺達だ。でも評価されない。じゃあもっと金を稼いで徹底的に黙らせてやる」

という心理になってもおかしくはないのではないか。
少なくとも現時点では問題はないと思う。
野村哲也氏やFFXVのディレクターの田畑氏はインタビューを見るとわかるがそういったスマフォゲーに対する明らかなDISという面は見せていないように思えるし、実際そうは思っていないだろう。
田畑氏なんかはスクエニに入社した初期にはガラケーのゲームを作ってたりするし*3
そういう類のゲームにはっきりした嫌悪は抱いていないのではないかとも思う。

コンソールとスマフォの対立軸に限らないが日本のゲーム業界は捩れがちょっと多すぎるなと感じてる。
日本と海外で評価されるゲームが違うこととかスマホとコンソールの対立とか複数の要因が絡んでいて感情的な捩れに対処しきれなくなっている感がある。
海外ではさっぱり売れずに日本ではめちゃくちゃ売れるがまったく評価されないというゲームがどんな批判にあうかといえば想像するだに恐ろしい。
だからといって昨今の重課金ゲーに賛意を示すかといわれればそんなことはありえないわけだが・・・
将来的にちょっと禍根を残すことにならなければ良いのだがと思った今日この頃であった。

*1:一概に和田さんが悪いとは思わないけど。タイミング的な問題もあるし。

*2:任天堂ソニーなどのハードメーカは除く

*3:田畑氏はテクモからスクエニに移ってきたという経歴がある。ギャロップレーサー等に携わっていたがスクエニに移籍当初は携帯ゲームなどを作っていた。